美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

判断基準

今日は3回目の更新です。

どうぞお付き合いくださいませ。

 

さて。

本日もたまたま外食となり、先ほど帰宅しました。

比較的行きつけのイタリアンレストラン。9周年ということで、和牛の赤ワインソースがおススメとなっていました。ここでも連続してワインです(笑)

 

さて。楽しいはずの外食ですが、後半どうにも雲行きが怪しくなりました。「相手を思いやる」というテーマの会話の中で、考え方の違いが浮き彫りになったのです。前回お伝えした通り、私たちは正反対の性格ゆえに、時々すれ違いが生じます。やはり50代まで独身であった二人。それまでの考え方を色濃く携えています。

 

栄養を考えながら、日々の献立を考える私。それを称賛してくれる主人。という構図だったはずなのに、「相手を思いやるならば、熱々を出すよりも量を調節してほしい」とのこと。大人なんだから、どのくらい食するかは個人の自由。大体、朝昼晩と全て一緒にいるわけではないので、食卓を囲んだ時にどの位食べるか?は調理する人にはわからないものです。(レストランでも一定の量を提供し、完食するか残すかはお客様次第なはずです)私のスタンスは、栄養バランスに富んだ献立は用意するけれども、一日の運動量に合わせて自分で量を調節するのが当たり前。この考え方は異端なのでしょうか(泣)

 

さらに、そこからの派生で私が傷つく話題を振るので、とても悲しい気分になりました。おそらく、主人に悪気はないと思うのですが、私が一番気に障るのは自分の友人に対してはそういった話題を振らないであろうと思う事です。

 

主人が雑な性格なのか、私が繊細過ぎるのか。

判断基準が難しい問題です。こんな風に、私たち夫婦は基本的には仲良し夫婦なのですが、危うい一面があったりします。しかし、それはどんな夫婦にも起こり得ることかもしれません。ひとりは気楽、その反面、寂しいものです。夫婦は楽しい、その反面、すれ違う度に傷つくものです。長い独身生活も経験しているがゆえに、色々な考えが頭を駆け巡ります。

 

これからも色々な出来事が訪れることと思います。主人とは平和に仲良く暮らしたい。しかしながら様々な出来事に翻弄されて、判断基準に戸惑うこともあると思います。そんな時に、このブログを記すことで救われる瞬間があります。自分の頭が整理できること、そしてどうしたらいいか冷静になれること。こんな場があることに感謝です。以前「繊細さんの本」という本を読んだことがあります。こんな私自身も繊細さんなのかもしれません。