美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

帰郷の記録2024.4.19

つい先ごろ父が大病院を退院し、介護施設に入所した。

金曜日は休暇を取り、大病院の面会に出かける予定だったが、父の移動に伴い急遽面会先を介護施設に切り替え、父に会ってきた。

 

地域や施設によって対応は様々なのだろうが、今回父が入所した施設は「空き」が出た場合、順番待ちリストの上から「即入所可能な方」が優先的に入所する仕組み。従って、施設からいつ来るかわからないその連絡が来た場合、家族は瞬時な対応が求められる。我が家は運よく弟が何とか対処してくれたため、当日の午前中に大病院を退院し、その日の午後に直行で施設に入所する事ができた。

 

でも。

この仕組みは介護される当事者や家族からすれば思いやりに欠けるのではないだろうか。病院側(経営者)としては一日のベッド代が利益に結びつくのだろうし、仕方がないのかもしれないが、「福祉とは何か」という本来の使命に立ち戻って欲しい。仕事を持ち、全ての生活を支えながら介護に向き合っている人が多い昨今、臨機応変に対処するのは大変な事だと思う。兄弟もおらず結婚もされていない方の場合はどうなるのだろう‥などど考えてしまう。

何の予告もなく仕事中に連絡が来て、即座に父を退院させ、退院書類を書き清算を済ませ、ベッドや荷物を片付け、介護施設との打合せをする。入所荷物の準備、費用確認、その他様々な事が襲ってくる‥考えただけで何と慌しいことか!(昔のような専業主婦はほとんどいないはずだから)もう少し考えて欲しいものだ。

 

さて。

今回父が入所した施設は、100床以上の大型施設。医師や看護師、理学療法士など様々な専門職の方々が配置されている。新しくできた施設で敷地も広いため、中庭や緑の配置も心地よく、リゾートホテルのような瀟洒な雰囲気。清潔感があるのはとてもありがたい。

正直なところ、そう優先順位の高い施設ではなかったのだけれど、スタッフの方の感じも良かったのでホッとした。

 

今日は父とガラス越しの面会が許可された。

父は一時待機所だと思っているらしく「ここには泊まれないし早く帰りたい。弟は一体何をしているのか。」と何度も繰り返した。約2ヶ月間の入院により、ベッド中心で生活していた父は筋力の衰えで足腰が立たない。リハビリで歩けるようになったら帰れることを伝えても、2分後には上記のように聞き直してくる。記憶の定着にも難があるのは明らかだ。私や弟をしっかり認識してくれるのがせめてもの救い。

 

また、父は母の状況を受け入れたようだ。

時折り涙を流しながらお線香をあげたいと訴えてくる。せめてもの願いだから叶えてあげたいが、5月以降の外出許可を待たねばならない。しかし、1度でも実家に戻ったら施設に連れてゆくのは至難の業ではないだろうか。色々な考えが頭を巡る。もっと父に優しい考え方をしてあげたいが、その後の弟の苦労を思うと家族全体のことを論理的かつ合理的に考えることも必要だ。本当に悩ましい。

 

10分程度の面会の後、息子と夕食を共にした。

何の予約もしていないからファミレスになったけれど気軽で良かった。健康・介護・仕事が主な話題だった。よく言われることだけれど、母親になるといつまでも息子が5歳児に思えてアレコレと助言しがちになる。しかし、最近は彼を尊重しようという意識が強くなってきた。主人を尊重するように息子も尊重した方が成長すると思う。どうしても頼りない部分がデフォルメされ、良かれと思ってひとこと言いたくなる瞬間もあるが、失敗して学ぶことで成長するのだ。それが危険を伴うことでない限り、彼の生き抜く力を信じるよう努めたいと思う。

 

親子で過ごす時間の貴重さ。

これは両親が私に「いま」教えてくれていることだと思う。母のこともあり、GWの計画はまっさらな私。息子と過ごす時間も計画したい。

 

約1週間前に実家に戻ったら、お庭に咲いていた水仙

おそらく母が手入れをしていたと思う。母からの思わぬサプライズだ。こんな風に遅れてやってくる幸せが身に染みる春。