美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

今日のお疲れ

また業務量が増えた。

年々増えていく一方だ。以前、ビルドビルドビルド‥で疲れるという内容を記述したことがあるが、毎年毎年増えていくので春はどうして辟易してしまう。

 

先日も突発的な事件が発生し、上席と急遽打合せをした。

業務の多くは既にアサインされているので、イレギュラーに対応する自由な時間はない。上司との打合せは時間外労働になる。しかも、先日は外回り案件があり時間ギリギリまでみっちり業務をこなした後、職場に戻ったら上記の突発的な案件が待っていたのだ。今週一週間は関わり続けなければならないだろう。(もうヤダ‥と心の声がする)

 

今日も今日とて、また業務量が増えた(苦笑)

私以外の人がアサインされたとある業務が、突然私に振り向けられた。理由は久しぶりの案件だから自信がないとのこと。私は全く初めての案件なんだけど‥。

たまたまその案件の資料作りに関わっていたから、私ならスムーズに行くのでは?というのだけれど、私は他の方よりも困難な案件を多く担当している。少し配慮して欲しいと思うのに、説得上手な同僚に外堀を埋められていた。もう引き受けざるを得ないので、前向きに引き受けることにした。仕方がない。

 

こんな調子で、どうにも断れない自分がいる。

お人よし?いい子ぶり?もう何でもいいけれど、平等でない部分が酷く目につく。たまたま年若い同僚と帰り道が一緒になり、不平等の話が出た。必死で働く人がいる一方、おしゃべりをして時間をつぶしている人もいる。この差は何?という話になった。納得がいかない。

 

しかし、自分の思考を変えるしかない。

よく言うことだけれど、自分と未来しか変えられない。

必要なものに全力で立ち向かい、必要でないものはそぎ落とそう。

 

組織的にそぎ落とせない構造を綿密に練っている職場だから、どうにも歯がゆいのだけれど‥

 

 

久しぶりに‥モノを手放す

今年になってから、母のことがあり自分を顧みない日々を過ごしていた。

 

昨年は、治る見込みがないとしても、少なくても「一時退院が可能なのではないか?」という思いに一縷の望みを託していた。だから、寂しい気持ちや先行きが不安な気持ちを持ちながらも、まだ平常心が保てていた。しかし、今年は違った。病院からの病状報告は油断ならない話ばかりだし、弟からの連絡も日に日に切迫したものになった。

日中は多忙な業務をこなしているから、母のことを全く思い出す時間はない。しかし、それ以外の時間は母を想う日々。私の生活は自動的に動く”からくり人形”のように習慣をこなしていた。

 

そんな生活の中でも、生きているとどうしても必要なものが集まってくる。

 

文房具や頂いた資料、買い足さねばならない洋服などなど。身に迫っているから購入は何とかしても、その分の断捨離までは追い付かない。そうしているうちに今年も早や4ヶ月が過ぎようとしている。収納が規定量オーバーで、お部屋にモノの小山ができていたけれど、片付ける気力が湧かなかった。そんな自分がイヤだったけれど、そもそもそれを考える余裕もなかった。

 

季節は初夏を迎え、衣替えのシーズンがやってきた。

なかなかやる気が起きない私を心配したのか、先日、母が私の夢枕に立ってくれた。そして、空元気だった私という器に、少し身が入り始めてきた。お母さん、ありがとう。ようやく私、少し気力が湧いてきたみたい。

 

前置きが長く長くなってしまったが、先ほどやっと衣類をまとめ上げた。

・チェックのチェスターコート

・ナイキのトレーニングウエア上下

・ネップツイードのトップス

・ストライプブラウス

・キーネックワンピース

・ドッキングストライプワンピース

・黒カーディガン

・黒パールトップス

ジーンズ

・黄色のボーダーTシャツ

・ナイトウエア上下

フォションの衣装入れバッグ

合計12点

 

少し反省点を記述しておこうと思う。

 

良く活用したのはナイトウエア。ピンクでアンティークローズ柄で折柄が入っており好きだった。でも10年も経過したしナイトウエアは買い足したものもあるので手放すことにした。トレーニングウエアも十分活躍してくれた。結婚後はほとんど出番がなかったので処分することにした。必要になれば買い足すつもり。

 

その一方、チェスターコートはお直しまでしたのに出番が少なかった。やはり重量が重いコートは袖を通さなくなる。50代は軽さ重視で。(昨年購入した白のダウンは軽いけれど、温かい冬はやはり出番が少ない‥)ネップツイードのトップスとドッキングワンピースはほとんど出番がなかった。5回程度?私らしくなかったことが原因。反省して今後に備えようと思う。

 

よく観察すれば、まだまだ処分対象が見つかりそう。

 

少し自分を取り戻せて良かった。

断捨離は無理にする必要はないけれど、必要でないものは早めに手放そうと思う。

 

 

佐野ラーメンは70分待ち

館林市つつじが岡公園からしばらくして。

お昼前に食したハンバーガーが小ぶりだったせいか、お腹が空いてきた。

 

近くには「佐野ラーメン」がある!

ということで、通りがかりに見つけた「ようすけ本店」に入ることにした。駐車場は車でいっぱい!普段なら主人が絶対に選ばないお店だけれど、珍しく乗り気になっているので、時の流れに身を任せてみた(笑

 

 

チケットを取ると表示されたのは「31組待ち」。

食べログで観ると1時間以上待ちそうだけれど、評価は高く4.15(456件)とのこと。待ち時間に主人を観察していたら、どうやら明日お仲間達と新潟へ出かけるための業務連絡で忙しそう。そういうことか!

 

私はあまりに暇だったので、ご近所を散歩させてもらった。

なーんにもない。

というか、自然があって良い。北海道を少し思い出していたら、通りがかった大型トラクターが北海道で見たタイプと同じ型だった。栃木県でも活躍しているんだなぁと感慨深かった。

 

まだまだ待ち時間が縮まらないので、駐車場を見て回ったら首都圏ナンバーが多かった。埼玉・東京・神奈川が一般的なラインナップ。新潟を発見して驚いていたら、一番遠かったのは神戸だった。駐車場で一体何をしているのかしら‥私。

 

そしてそして、70分待って食した待望の佐野ラーメン!

美味しい‥(鳥のうま味が濃くて臭みがない)

 

コシがあるのに滑らか。縮れ麺だからひらひら部分がワンタンのよう。チャーシューは本当に柔らかくてトロトロ。普段なら1/4残す私が完食した。

 

滅多に来られないから餃子も注文。大振りで皮が厚め。しっかりタイプだけれど1つ丸々食べられた。私がラーメンと共にこんなに食べるのは珍しい‥

 

注文から5分で運ばれ、15分で完食した(!)

また是非食べたいと思うラーメンだったけれど、おそらく二度とこんなに待てる機会はないと思う。今回のように、ある程度主人の条件が揃わなければ‥(笑

 

群馬県館林つつじが岡公園

昨日は久しぶりのドライブデート。

群馬県館林は暑かった。もう、ほぼ夏がやってきた!

 

今回の観光候補地は、栃木県の足利フラワーパーク(藤棚)か、茨城県ひたち海浜公園ネモフィラ)か、群馬県つつじが岡公園(つつじ)か。1度も訪れたことがないという理由から、こちらのつつじが岡公園に決定!

 

到着して最初に「空いてる!」と思った。

11時頃に到着したのに混雑していなかった。まずは入り口付近で早めのランチ。

 

アメリカンな店構え。内装や家具もEarly American。ソファや小物も見応えがあったけれど、良い陽気に釣られて外カフェを選択。

 

かなり昔、アメリカ西海岸に長く滞在していた頃に食べたハンバーガーによく似ていた。本場の作りが日本人にも受け入れられるようになって久しい。

 

今日は基本的にオフホワイトコーデ。コーチのリュックとセリーヌの日傘がお供。ブランドがどこか目立たないのがお気に入り。

 

そして、食後にゆっくりつつじを鑑賞。

薔薇のアーチはよくあるけれど、つつじ最盛期のアーチは初めて!

 

赤やピンクに押され気味だけれど白も素敵☆

 

風光明媚な高台からパチリ。

 

少し落ち着く林もある。

 

昔々、父が趣味でつつじの栽培をしていた事があり、近所の方々にせがまれ譲っていた。小さな差し目を大切に育てて見事な花が咲く。(毎年100本位はお世話していて、家を建て替える事になった時、母校の中学校に全て寄付した)

幼い頃の、初夏の良い思い出。

 

さて。こちらのつつじが岡公園は、その名を冠するだけあり何と100種類!多くの品種が集まっているため、お気に入りを見つけるのが楽しい。それぞれが個性豊かな美しさを持っている。私のお気に入りはこの子たち。

 

西行(さいぎょう)

紅紫色で花径5~5.5cmの中輪花で采咲きのモチツツジの品種。開花期は遅く、がくは粘る。江戸時代からの品種だそう。

 

◇千重大紫(せんえおおむらさき)

大紫の枝変わりからでた品種で、花弁が薔薇のような千重咲きになったツツジ。開花期は4月中旬から。確かに、まだまだ蕾の状態だった。立体的な形がまた薔薇に似ている。

 

◇八重霧島(やえきりしま)

二重のキリシマツヅジ。ツツジは一重がスタンダードなのだけれど、こちらは一重の花びらの間に、45度の傾きで重なっているから椿のようだと思う。

 

クルメツツジ(常夏)

特に解説はなかったが、白地から薄いピンクのバリエーションある花弁に絞りが入っていて趣がある。突然変異のように濃いピンクも出現して面白い。鑑賞しているお客様の誰もが立ち止まる人気者だった。

 

また、こんな夢のある一画も。

スペースシャトル「コロンビア」に乗ったツツジの種子が帰還!そして、この地で発芽し育っている。向井千秋さんはここ、館林市出身なのだ。

 

広い園内に小さなタープを張って、お昼寝しているカップルが数組いらした。私達も近い将来、引退したらこんな風に贅沢な時間の使い方をしたいね、と話した。今でもしようと思えばできるけれど、あれこれ別の用事を入れてしまうのは何故だろうか‥

 

のんびりしたつもりだったけれどまだ14時。

群馬県立館林美術館に行こうかと思ったが、常設展に興味がもてなかっので見送った(ごめんなさい)。7月からの企画展は「霊気を彫り出す彫刻家大森暁生」なので、こちらだったら観てみたい。また来られるかなぁ。

 

気の向くままのドライブデート。

予定を立てない旅も楽しい。

 

帰郷の記録2024.4.19

つい先ごろ父が大病院を退院し、介護施設に入所した。

金曜日は休暇を取り、大病院の面会に出かける予定だったが、父の移動に伴い急遽面会先を介護施設に切り替え、父に会ってきた。

 

地域や施設によって対応は様々なのだろうが、今回父が入所した施設は「空き」が出た場合、順番待ちリストの上から「即入所可能な方」が優先的に入所する仕組み。従って、施設からいつ来るかわからないその連絡が来た場合、家族は瞬時な対応が求められる。我が家は運よく弟が何とか対処してくれたため、当日の午前中に大病院を退院し、その日の午後に直行で施設に入所する事ができた。

 

でも。

この仕組みは介護される当事者や家族からすれば思いやりに欠けるのではないだろうか。病院側(経営者)としては一日のベッド代が利益に結びつくのだろうし、仕方がないのかもしれないが、「福祉とは何か」という本来の使命に立ち戻って欲しい。仕事を持ち、全ての生活を支えながら介護に向き合っている人が多い昨今、臨機応変に対処するのは大変な事だと思う。兄弟もおらず結婚もされていない方の場合はどうなるのだろう‥などど考えてしまう。

何の予告もなく仕事中に連絡が来て、即座に父を退院させ、退院書類を書き清算を済ませ、ベッドや荷物を片付け、介護施設との打合せをする。入所荷物の準備、費用確認、その他様々な事が襲ってくる‥考えただけで何と慌しいことか!(昔のような専業主婦はほとんどいないはずだから)もう少し考えて欲しいものだ。

 

さて。

今回父が入所した施設は、100床以上の大型施設。医師や看護師、理学療法士など様々な専門職の方々が配置されている。新しくできた施設で敷地も広いため、中庭や緑の配置も心地よく、リゾートホテルのような瀟洒な雰囲気。清潔感があるのはとてもありがたい。

正直なところ、そう優先順位の高い施設ではなかったのだけれど、スタッフの方の感じも良かったのでホッとした。

 

今日は父とガラス越しの面会が許可された。

父は一時待機所だと思っているらしく「ここには泊まれないし早く帰りたい。弟は一体何をしているのか。」と何度も繰り返した。約2ヶ月間の入院により、ベッド中心で生活していた父は筋力の衰えで足腰が立たない。リハビリで歩けるようになったら帰れることを伝えても、2分後には上記のように聞き直してくる。記憶の定着にも難があるのは明らかだ。私や弟をしっかり認識してくれるのがせめてもの救い。

 

また、父は母の状況を受け入れたようだ。

時折り涙を流しながらお線香をあげたいと訴えてくる。せめてもの願いだから叶えてあげたいが、5月以降の外出許可を待たねばならない。しかし、1度でも実家に戻ったら施設に連れてゆくのは至難の業ではないだろうか。色々な考えが頭を巡る。もっと父に優しい考え方をしてあげたいが、その後の弟の苦労を思うと家族全体のことを論理的かつ合理的に考えることも必要だ。本当に悩ましい。

 

10分程度の面会の後、息子と夕食を共にした。

何の予約もしていないからファミレスになったけれど気軽で良かった。健康・介護・仕事が主な話題だった。よく言われることだけれど、母親になるといつまでも息子が5歳児に思えてアレコレと助言しがちになる。しかし、最近は彼を尊重しようという意識が強くなってきた。主人を尊重するように息子も尊重した方が成長すると思う。どうしても頼りない部分がデフォルメされ、良かれと思ってひとこと言いたくなる瞬間もあるが、失敗して学ぶことで成長するのだ。それが危険を伴うことでない限り、彼の生き抜く力を信じるよう努めたいと思う。

 

親子で過ごす時間の貴重さ。

これは両親が私に「いま」教えてくれていることだと思う。母のこともあり、GWの計画はまっさらな私。息子と過ごす時間も計画したい。

 

約1週間前に実家に戻ったら、お庭に咲いていた水仙

おそらく母が手入れをしていたと思う。母からの思わぬサプライズだ。こんな風に遅れてやってくる幸せが身に染みる春。

新しい始まり

新しい始まりの朝。

久しぶりに6時に起床した。

 

ここ最近は日常生活に向き合うことが辛くて、ギリギリまでベッドから起き上がれなかった。楽しいことなんかない。だって母がいない。考えたくない。この三段論法が脳裏を離れず、現実逃避してどのくらい経つだろう。

 

新しい始まりの朝。

今日を生きよう。

桜咲くこの特別な日に

誰のためでもなく

自分自身のために前進したい

母が逢いにきてくれたお陰で

じんわりと前進したいと思う気持ちが芽生えてきた

 

私が哀しいから

私が寂しいから

どうしても泣いてしまうと思っていたが

母が元気な姿で逢いにきてくれたお陰で

私が「母を心配しているから」辛いのだと気づいた

 

母が寂しい思いをしていないか

母が弱っていないか

それが一番気がかりだったのだ

 

昨日の特別な日を選んで

母が元気な姿で逢いに来てくれたお陰で

私はそのことに気づくことができた

ありがとう

ありがとう

 

私は私自身の人生を生きる

私のために生きる

 

それが結果として

母を喜ばせることになれたなら

嬉しさは2倍かそれ以上になる

 

母もそんな風に

精一杯自分の人生を生きたのだ

私もそう生きていきたい