美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

アリはキリギリスに何ができるか

先日、都内のホテルで友人とランチをした。

イタリアンコースを予約しており、シャンパンで乾杯。

 

3~4年ぶりな事もあり、私は再会をとても楽しみにしていた。しかし、友人は精神的に不安定なのだと語り、予想とは違った一面をみせた。私は職業柄、打ち明け話を聴くことが多い。今回も辛抱強く合いの手を入れたり、共感して労わりの言葉をかけて2時間が過ぎた。お誕生祝も兼ねていたため、バースデープレートも追加。今回は企画展チケット込みのランチでもあり、予算はかなりオーバーしたが喜んでくれたので嬉しく思う。

 

企画展の閲覧では、建物や作品について語り合えることもあったが、友人はいつの間にか自分の話にすり替えてしまう。気づくと、私はいつも友人を労わっている。彼女は不安定なのだからと親身になりながらも、全く楽しめていない自分自身に戸惑いを覚えてしまう。

 

最も辛いと感じたのは、別れ際だった。

 

16:00には帰途につきたいと思っていたが、色々な引き留め工作にあった。まだまだ話し足りない様子でカフェやイベントを様々提案してくる。「ひとりになりたくない」ということがヒシヒシ伝わってくるが、私自身が変調しそうだった。

お会いしてから間もなく、「精神不安定報告・お母さまの病気・旦那様へのご不満・経済的なこと・仕事の不調・習い事でのご不満・将来に対しての不安・・・」これ以上は思いつかないというほど、様々な話題をたくさん傾聴し続けた。

とても申し訳ないけれど「この辺で」と自分を奮い立たせて帰途につく。立ち話は1時間にも及び17:00にとある駅で解散となった。

ひとりになって、どっと疲れを感じた。

 

…中学生時代、彼女は「ひまわり」のようだった。

都会的な感覚もあり、すぐに誰とでも打ち解けた。私は学級委員などもしていたが、心の奥底では内向的なところがある。一緒にいたいと思う友人が少ない中、彼女の明け透けなところにとても惹かれた。趣味や美術思考なところも似ており、すぐに仲良くなった。彼女の素直で嘘のつけない部分も魅力的だった。進学の方向性は違ったが、つかず離れずの関係が続き、今でもこうして一緒の時を過ごせることに感謝している。

 

今回の再会で「アリとキリギリス」の物語を思い出した。

自由な彼女はいつも「楽しむこと」を最優先にしており、ほとんど我慢する姿を見た事がない。ご実家も裕福でのびのびと育てられていた。私の実家は裕福とは程遠く、大学進学のためには高校時代からアルバイトをして学費を貯めねばならなかった。彼女に限らず、お小遣いを自由に使える友人達が羨ましかったのを覚えている。しかし、私はここで「計画性と我慢強さ」を身につけたのだった。そして歳月は流れ、今では欲しい物は自由に手に入れられるだけの経済力を身につけることができた。もちろん運もある。しかし、「人生の舵取り」は気ままに暮らしていては身に付かないものだと私は思う。

 

アリはキリギリスに何ができるだろうか。

 

共倒れになっては元も子もないが、友人のために何ができるのか。

色々な想いを馳せている。