美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

できること・できないこと

私は「お世話好き」な部類に入ると思う。

周囲の人がリラックスできていないと、私自身も落ち着かない。あれこれと心を砕いているうちに疲れてしまうことがある。幼い頃から、実家での立ち位置が「コントローラー」だったために、たくさんのことを背負い込み過ぎて実力以上に頑張りすぎる性格になってしまった。そんな所から「楽しいという感情がわからない私」が形成されたように感じる。「私の楽しい」を追及したら実家が回らないため、強い力で自分を押さえつけていたのだ。(フロイト心理学を学ぶようになって色々なことが解明され、今はスッキリしている)

 

友人のことに思いを馳せると、「できること、できないこと」があることに気づく。

まず、前提として彼女から「相談したいとは言われていない」のだ。お世話好きな人の問題点として、相手が望んでいるかどうかを考えていないフシがある。「自分が」心配だと思うから、手を貸してしまう傾向が強い。本当の親切とは、「相手が」必要な時に必要なものを提供することだ。今回は、長い時間(約5時間程度)一緒に過ごしたが、彼女は軽い話し相手として私に接している様子だった。

 

水飲み場に牛を連れていくことはできるが水を飲ませることはできない、という言葉を思い出す。必要な時に私を思い出してくれればいいなと願う。ひところは親友のような間柄だった彼女に対し、弱い紐帯の強さ」というと切ない気持ちにはなるが、今の立ち位置を大切にしつつも困った時には力になりたい。

 

気になるのは「SNSが辛いのにやめられないと決めつけている」こと。

仕事柄しかたがない、と何度も言っていたが、身体以上に大切なことはない。心身の異常をきたしてまですることなのか考えて欲しいと思った。何度も「プロ」と彼女が口にするから、そこには一抹のプライドも感じられて、ずけずけと彼女の世界に入り込むことを良しとしない自分がいた。本当に悩ましい。(私自身はデジタルデトックス派。初めて入社した企業がテクノロジー系で常に最新機種に触れてはいたが、現在の情報過多時代に警鐘を鳴らしたいと思ってしまう…)

 

大切なのは「私は万能の神ではないことを自覚し、身の丈を知る」こと。

そして、いつでも友人のために手を差し出せるよう、片手を空けておくことだと思う。