美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

余波の考察

3日間の帰郷から日常に戻り、既に3日目を迎えた。

本当に一日があっと言う間に過ぎ去る。まだ生っぽい感触が残る今回の帰郷ですらも、どんどん過去に追いやられているように感じてしまう。

 

帰郷の後は「余波」が来ることを、以前ブログにも書いた。

しかし、今回はこの余波が感じられないのだ。むしろ、やり切った感があり、充実していたという満足感の方が勝る。これはどういうことなのか、しばし考えた。

 

わずか3時間や1日程度の帰郷では、「時を味わう」ことができないのかもしれない。

帰郷の目的(掃除やイベントなど)を達成することが重要になってしまい、普段の両親の姿が見えないことがひとつ。また、隙間時間の偉大さもひとつ。雑多なことの隙間時間が「時を積み上げる」という感覚をもたらすのかもしれない。さらに、短時間では非日常のままなので心に刺さり続けてしまうが、3日間もすると「日常」として馴染んでくる。その日常感が増してくることによって、余波が生まれないのかもしれない。上手く言葉にできないが、この違いが少し理解できたように思う。

 

鈍化?そう、鈍化することによって、余波が生まれなかったのだ!

 

人間の感覚は上手くできている。

おそらく、なるべく個体に負荷がかからないようにできているのだ。3日間の帰郷がこうした考察を生むとは思わなかった。人生は色々と面白くできている。