両親を見ていると、これからの10年が非常に大切だと実感する。
私の父母はたまたま80代前半まで自由自在だったから、何となく自分もまだまだ大丈夫と思っていたが、どんどん弱っていく両親を見ていると改めて色々考えさせられる。
世に出回っている統計にはマジックがあって、利用できる数字を公表しているだけだと思う。俗に言う「寿命が延びている」という数字も、自由自在に生きられる期間ではない。10年以上も入退院を繰り返している人や施設に入りきりの人も含まれる。従って、したいことは「健康寿命以内」に実現しなくてはならない。
しかも、この健康寿命は健康を失って回復しない事態に遭遇して、初めて「ここだ」という線引きになるだろう。その手前で解るものではない。
私の独断的想定として。
今後一番大切なのは60代をどう生きるかだ。
たまたま両親は健康な70代を生き抜いたが、私は自分をそこまで過信できない。70歳を過ぎたら何が起きても不思議ではない。そう考えると「これからの10年」が人生最大にして最後の自由時間なのだ。
これまでの私は、仕事が好きだからつい仕事を優先してきた。
でも「仕事なんかしている場合?」と最近、思うことが増えた。60代で無収入もどうかと思うし、社会との接点もなくなるのは不本意だけれど、もし天から「後10年で人生が終わりますけど、どうしますか?」と問われたら、私はどんな選択をしたら後悔しないだろう。
ブログを始めてから、内省する機会を多く持ったし、両親を見ていての学びもある。しかし、なかなか英断できないのは「そうは言っても人生長い」と意識下で思い込んでいるからかもしれない。両親が弱り、入院か自宅介護かのような選択を迫られてさえも、大きな選択に躊躇する私。(‥最近、私は弟のサポート役と意識したら肩の荷が軽くなった)
ふと、以前、母が言っていたことを思い出した。
「10年なんてあっという間。」
そうだ。確かにそう言っていた。
あまりぐずぐずしていられないのは確かだ。10年後に同じ感想を言うのは残念すぎる。私は「10年で盛りだくさんの体験をした」という感想を言いたいと願う。
一筋の光としては。
どんな時も、主人が私と人生を共にしてくれること。主人は私がどんな選択をしても味方でいてくれるありがたい存在だ。感謝しかない。その主人も、後3年程度で現職を退きたいと言う。そして、私と一緒に人生を謳歌したいそうだ。(謳歌の中身に関しては「旅」以外は不明なのだけれど‥笑)
この10年は「私の好きな世界を広げる」ために使いたい。
そして、それが人を幸せに導くものだったら嬉しい。
そんな計画をぼちぼち立てていこう。
そのために、心をすり減らすような仕事は止めてもよいことにする。
主人が急須の蓋を割ってしまった。
花器として活用する事にした。
埼玉のお道具屋さんで購入したお気に入りだったから。