美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

新年のご挨拶

新しい年がやって参りました。

2024年もよろしくお願いいたします。

 

昨日発生した能登半島地震

私は実家のTVニュースでタイムリーに知りました。被災された皆さまや関係者の皆さまはどんなに心細いことでしょう。そして、自衛隊や支援団体など尽力してくださる方々には感謝しかありません。いつだってどんな時だって自然災害は怖いに決まっていますが、1月1日という日に大地震に直面するなんて、あまりにも辛すぎます‥

被災地の皆さまが一日でも早く、安心できる日常生活を取り戻せるように祈っております。そして私にもできることを実行したいと思います。

 

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さて。

心が痛すぎてブログを書く力があまりないけれど、年越しからお正月について少し記しておきたいと思う。

 

晦日は父と静かに話をしながら、弟の帰宅を待っていた。

本当はお掃除をしたいと思ったが、なぜかアクティブな気持ちが湧いてこなかった。

 

帰宅した弟は少し私と雑談をしたかったようだが、短気な父が夕食を望むためゆっくりもしていられない。結局、私が温かいきのこそばを作って父とふたりで食べ,ることになり、その間に弟は身支度を整えに自室に戻った。

そうしているうちに息子が到着。弟が天ぷら(海老・茸2種類)を揚げたため、彼らの年越しは天ぷらそばになった。私もご相伴に与かり、天ぷらを頂いたが相変わらずの絶品で、軽くて幾らでも食べられてしまう。私は天ぷらが苦手なので弟が得意なのは誇らしい気持ち。

 

この年末。

大きな力仕事もしていないのに、なぜか疲れており22:00には就寝してしまった。本当は「ゆく年くる年」が好きなのだが待てなかった(泣)お布団に入ったら眠くて眠くて。真夜中の2:00に目覚めてお化粧とコンタクトを外す始末。

母が実家におらず「入院中」という事実に気落ちしているのはもちろんだけれど、やる気がでない自分をどうしても奮い立たせることができなかった。気が抜けているのかもしれない。

 

そして新年。

弟が作るお雑煮でスタートし、お昼にはおせちで乾杯した。

(午前中に父の寝室をお掃除したが、本来は三が日のお掃除は福を掃ってしまうとしてよろしくないようだ。しかし、いつ昼寝を所望するかわからない父だから、この際「元旦は一年の計:清めることを目標にする」と考えることにした)

 

お昼からの団欒は、特にテーマもない雑談中心だったが、両親の話は外せない。

しかし、母は病院からの報告が乏しいため、建設的な話をするには無理がある。父についてはデイサービスや訪問介護などを私から積極的に話題にしたが、弟がいまひとつ乗り気ではない。もちろん、父が望まないせいもある。こうなると、今後も手をこまねいて静観し続けるしかないように思う。

年末から元旦にかけての私はどうにも楽しい気持ちになれず、カラ元気を出す気力もなかった。いつもの私なら場を盛り上げる役割を担うのだけれど、歳のせいなのか、自分の気持ちに素直になったからか、ごくごく自然体で過ごしたという印象だ。これでいいのだろうか。

 

そんな居間での団欒タイムに、今回の能登半島地震が突然中継されたのだ。

その後もTVに釘付けになっていたら、17時前に主人が新年の挨拶にやってきた。実質は私のお迎えである。

 

自宅に戻ってから、夫婦ふたりの新年会。

主人が選んだおせちに舌鼓を打ちながら、こちらも他愛のない話で時間は過ぎる。それでも主人から旅行の話題を提供してくれたため、私も少し明るい気持ちを取り戻したように思う。今年も年頭から主人に感謝。

 

今日はもう、午後から勉強会が入っている。

ある意味、日常に戻ったような感覚。年々、大晦日~お正月が軽いものに変化していくように感じられて、何だか寂しく思う2024年の今日。

 

来年のお正月は、一体どんな時間を過ごしているのだろうか。

家族全員が揃っていて、明るい話題で盛り上がり、元気な笑顔で楽しい時間を過ごしたいと切に願う。そして、日本古来の伝統をしっかり感じながら家族の絆を深められたらいいなと思っている。