美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

親と過ごす穏やかな時間

帰郷の振り返りをして、気づいた事がある。

掃除をしなくても親がそそうしても、穏やかな時間は「今ここにあるのだ」ということ。

 

あるがままの親を受け入れる。

 

これが基本。

これさえ出来ていれば、意味なく焦ったり困惑したりしなくていい。親と一緒の時間を過ごした時に、もしも私が心が穏やかでないとすれば、それは自分自身の問題に他ならない。

 

10年以上前になるが、義理の母を介護して看取った友人がいた。彼女は涎を垂らす義母のスタイを購入する際、ピンクでふりふりの可愛いものを選び、「お義母さん似合う!」とその介護を楽しんでいた。実母ではない苦労は相当なものであったと思うが、それを微塵も感じさせなかった。

 

彼女を思い出すと、「受け入れた介護」の凄さに気づく。「受け入れない」場合は、逃れたい・現実逃避・乗り切る、などの言葉が出てくるが、その一方「受け入れる」場合は、この時を共に過ごす・今が貴重・味わう、などが出てくるに違いない。

 

両親の身体を摩ったり、ハグしたり、足を揉んだり、ノートレしたり。これは機能回復に良い影響があるから積極的にしているが、私自身の自己満足にならないように、と強く思う。穏やかな気持ちを見失わない事が大切だ。

 

あるがままの親を受け入れる。

 

これは子育てに似ている。

小さな息子を育てる際にも同じよう考えた。子育ての修行が介護にも活きるとすれば、息子にも感謝である。