美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

「穏やか」の原点

先日「ご機嫌でいること」という記事を書いた。

 

少し手前味噌になるが、最近、身近な方々から「癒される」と言われることが多い。それはどこから来るのかなぁ‥と漠然と思っていた。そうしたら、先程ふと気づきがあった。

 

私は「自分が正しいと思っていないから」なのかもしれない、と。

 

少し解説しよう。

私は「自分が正しい」と思っていない。人の考え方や見方は千差万別で、人の数だけ正解がある。よって、裏を返せば「正解がない」のだ。ただ、正解だと思う気持ちがあるだけだ。

 

裁判などでも、出来るだけ公平な落とし所を見つけようと模索するが、対立した場合の判決で「双方にとって満足」の結末はない。まさに司法の最高峰を介しても「正解」は見つけられない。ましてや、私達が暮らす日常の中はさらに混沌としている。誰かが正確にジャッジしてくれるわけではない。

 

私は周囲の人を尊重した上で「私の信じる道を行くだけ」なので、いつも穏やかでいられるのだと思う。それが意図せず「癒し」に繋がっているのなら、この上なく嬉しい。

 

穏やかでいられず不機嫌な人は、おそらく日々沢山の事柄に対して「私が正しいのに」の気持ちが強いのではないだろうか。。。