年を追うごとに、バレンタインやホワイトデーの存在が薄くなる。
おそらく、私達夫婦や家族の絆が深まっているからこそだと思う。そして、両親の物忘れの影響もある。
今年のバレンタインは、父・弟・息子に生チョコを贈った。
時間のない時期だったから、バレンタイン当日のデパートで残ったものの中からチョイスした。こだわる時間がなくて、良かったのか悪かったのか(汗) 息子からは毎年お返しはない。弟もほとんど忘れている。それはそれで気が楽だ(笑)
問題は父。
当日までにないと「バレンタインは?」と気にしているらしく、時折母から微笑ましく報告を受けていた。チョコレートに想い入れもなく、食べるでもない父。そこに「愛」を感じたいのだと思っていた。
それが、近年はあまり問われなくなった。しかも、今年はホワイトデーのお返しがない。いつもは母が気を利かせて用意してくれているのだ。おそらく、母もその存在を忘れているにちがいない。たかがイベント、されどイベント。両親が段々とこの世の物事に興味がなくなっていき、静かに離れていくようで寂しさがこみ上げる。
それを少し救ってくれたのが主人だ。
彼は今年、早々に「チョコレートはいらない宣言」をしており、出鼻をくじかれた。私は素敵な缶が大好きだから、毎年楽しみにしているのに(泣) 色々悩んだが、紀伊国屋のアソート(クッキーやブラウニー等)を取り寄せた。血糖値を気にしての宣言なのに、これでいいのか?と自分につっこんだが致し方ない。彼は在宅で、少し休む際に摘まむものが必要だから、そのアソートとハート型のお煎餅をプレゼントした。
そのお返しに頂いたのがマロングラッセ。
いつも、ホワイトデー当日にサプライズで渡してくれる。デパートで少し気になりつつも自分用に購入することはなかったから、とても嬉しかった。当日に1つ頂いて、その後は主人と一緒にワインのお伴に楽しんでいる。
こうして少しづつ、姿を変えていく私のホワイトデー。
ほろ苦い想いも、生きているからこそだ。