美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

誉めることの難しさ

私は「よく人を誉めますね」と言われることが多い。

私以外の人は、私が体験したこと以外を経験しているので、基本的に(ほぼ全てが)尊敬の対象である。どんな小さなことにも意味があり、その本質を考えると貴重だなと思う事が多いからである。

 

しかし最近、「誉めること」が良くないこともある、と知ることになる。

先日、同僚の業務を誉めた際に「褒め殺し」と言われたのである。かなり以前(20年位前)に1度友人から言われたことを思い出した。2回目の今回、少し掘り下げをしてみようと思う。

 

「褒め殺し」とは、元々は「誉めることでその対象をダメにしてしまうこと」を指していたそうだ。しかし、後に「ダメにすることを目的として誉めることをも意味するようになった」とある文献で紹介されている。同僚がどちらの意味合いで、私に投げかけたのかは不明だが、かなり意味深長であることに驚いた。。。

 

私は複雑な部分も持っている一方で、意外と単純な部分もある。

誉めることに関しては冒頭で述べたように、(幅広な尊敬対象のため)誉めることに事欠かないので「単純」な使い方をしていたと思う。主人はそれを美徳と言ってくれるが、今回のように裏を返す(?)ような解釈をされる方もいると知った。

 

そして急に怖くなったのである。

 

どんな時に人を誉めるとダメになるのか?

それは「できる人をやたらと誉めるとダメになる」という事らしい。できるのは当たり前なので、誉められるとできない人を咎めるようになり、できると勘違いして先輩の話を聴かなくなる・・・と続く。

 

では、どんは場合に誉めたらいいのか?

「能力が平均的な人、あるいは平均以下の人が、努力を払っている時に使う。そうすれば自分に関心を持っていると気づき頑張るようになる」らしい。上長の人、人を育成教育する人たちは、基本的には誰に対してもイーブンで接するようにすることが良、とのこと。

 

これを基本系とすると、私の誉め方は間違っていたようだ。

この解釈で、同僚が気分を害したとしたら、大変申し訳ないことをしたと思う。確かに彼女は才媛でプライドが高い(ように感じられる)ため、傷ついた心の証として「褒め殺し」という棘を私に贈ったのかもしれない。

 

私は本当に未熟な人間なので、ひとつひとつ習得していくべきものが沢山ある。

心優しき同僚の中だけにいると、皆さんに包まれているので自分の欠点に気づかないことが多い。そんな中、彼女のように私に「気づき」を与えてくれる存在は貴重だと感じる。私も人間なので、今回の出来事には深く傷つき心折れそうになった。しかし、何かを掴む(成長する)場面では、必ず心の痛みを伴うことを知っている。彼女に感謝。そして、私が成長することで、彼女に不快な思いをさせないよう気をつけようと思う。すぐに修正できるほど器用ではない私だが、何度か転びながら、この「誉めることの注意点」を思い出し、きちんと習得しようと思う。

 

(身近な家族や友人が素敵なことをしてくれた時、やはり誉めてしまいたいと思う自分がいる。それは褒め殺しになるんだろうか…。)