美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

生活感がない

最近、久々に頂いたフレーズがある。

「良い意味で生活感がないですね」

 

約5年ぶりに聞いたため、なんだか懐かしい気持ちになった。そう、私は生活感がないらしい。これは若い頃から一貫して言われている。少しプロフをご紹介すると、20代中ごろ1度目の結婚をし、20代後半で息子を出産。30手前で離婚を選択している。そこから約10年両親と同居し、40手前で家を新築。息子と2人暮らしになった。さらに50歳で再婚し現在に至る。その間、様々なキャリアを手に入れたが、現在その全てを包括するような専門職を生業としている。

 

こうご紹介すると理解していただけると思うのだが、決して生活感と縁遠いわけではない(笑)。むしろ、身内的な登場人物多めでもあり、子育て(ヘタながら)も経験している。よくこのフレーズを言われるので、その昔、母に話してみると「私のおかげでしょ」と微笑んでいた。確かに母のサポートはありがたかった。

 

少し脱線するが、母の最大級の美点は「人の話を聴く力」だと思う。どんな話にも耳を傾けてくれるし勇気が湧いてくる。そして自ら心の整理ができる。いま、ふっと気づきが降りてきたので驚いたのだが、私の専門職に大きな影響を与えている。「傾聴」これは母が先生だったのだ!

(母の話にスポットを当てていても、いつの間にか私の話にすり替わっている。私が話したいから話してしまうのか、母の問いかけが上手いのかはわからない。)

 

話を戻して。

こう考えてみると、私の場合は、実際の行動が心身に及ぼす影響よりも「精神的なありかた」が色濃く反映されていると思われる。以前も記述したが、私は性格的に「夢見る部分と現実的な部分」とを半々に持っているため、おそらく現実的な部分で日常雑務をこなしながら、その一方、夢見る部分に救われているのかもしれない。

 

私にとって、夢見る部分とは将来への希求。

世界平和(宇宙平和)とか、心の安寧とか、自然讃歌とか、畏敬の念とか・・・

 

そういった大きなテーマから小さなテーマ(自分の心を磨くとか)まで、色や形を変えながら考えることがライフワークになっている。そして、それが私にとっての「哲学」につながっている。そう、「普遍的なものや本質的なもの」に大きく惹かれるのだ。美術や芸術が好きなのも、哲学の派生だと感じるからだと思う。「生活感がない」は私にとって誉め言葉であり、自分の原点を思い起こさせる言葉でもある。すっかり忘れていたが、このフレーズは私を形容する重要な言葉であることを再認識できて良かった。

 

同僚(30代後半)に感謝です。