つい先日の金曜日。
念願だった母との逢瀬が叶った。
1人5分間のみという約束で、特別に面会が許されたのだ。
コロナ急増を受けて、「シールド・エプロン・ゴム手袋」という装備が必要とのこと。事前に計画していた「ハンドクリームで母の手をマッサージ」が不可能になり、意気消沈する私。ロクシタンの桜の香りを母に届けて、もうすぐ春がやってくるのだと、その訪れを感じて欲しかった。装備は入室直前に知らされたので、ゴム手袋では成すすべがない。今にして思えば鼻近くで開封して香りを感じてもらうとか工夫ができたはずなのに‥。臨機応変に対応できなかった自分が腹立たしい。
持参したFeilerのハンカチで桜鑑賞をした。
たまたまデパートで通りすがりに見つけたのだが、青空にピンクの桜の花が清々しく咲いているデザインで、即決で購入した。それを病室で広げ、母と共に鑑賞した。精一杯のお花見を演出してみたが、母はどう感じただろうか。
病室での母は透明感で溢れていた。
静謐な空気が流れており、自ら言葉を発することはなかった。私は必至で日常を演じ、あたかも何でもない日常生活のように振舞って、母に色々話しかけた。
お母さん大好き。
いつもありがとうね。
ここ1年ほどになろうか。
母や父に毎回会うごとに伝えてきた言葉をここでも繰り返した。母は頭の回転が追い付かない様子で反応はあまりないが、気持ちは伝わっているに違いない。
(lalaの)仕事は忙しいのか。
(お母さんは)足が痛くて歩けないの。
はっきりと聞き取れたのはそのくらいで、会話らしい会話にはならなかった。弟からは5分は短いよと言われていたが、何だかとてつもなく長い時間だったようにも感じられて、未だにこの時間の租借ができていない。どう解釈したらいいんだろうか。
母に桜を届けたい。
私はこのテーマをもって母に会いに行ったが、それはきちんと伝わったのだろうか。そして、私との時間で何かを感じてもらえたのだろうか。