美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

帰郷の記録2023.5.21

良く晴れた日曜日。

息子と朝一番で映画鑑賞した後、日帰りではあるが実家に向かった。

明確な時間を伝えていなかったので少しサプライズである。

 

喜んでくれるかしら?

と思いきや、疲れている様子に驚いた。

 

弟は幾つか用事があり、隣町へ行っていると言う。最近、ようやく車に乗れるようになったので、行動範囲が広がっているのだ。そのため、実家には両親が2人きりだった。

 

お花を用意してきたので、アジサイ2種から好きな方を選んでもらう。

1つは白と薄緑のみっちりと玉型になったアジサイ。もう1つは中心がつぼみで、外側から花火のように華やかに伸びている八重ピンク色のアジサイ。母なら可愛いピンクを選ぶかと思ったが、以前にも贈ったことを覚えており、今回は白の清楚で美しいアジサイが良いと言う。記憶がハッキリしている様子でとても嬉しかった。母は軽度の認知症を発症しているのだ。

 

その後、主人のご実家にもお花を持参し、お義父様と広いお庭を少し散策した。

お花が終わってしまった御用つつじの立派な枝ぶりを横目に見ながら、遅咲きの芍薬や白い菖蒲を鑑賞させて頂く。お義父様は春のお庭がご自慢なのに、何種類ものクレマチスが咲き誇る季節に伺えず、申し訳ない気持ちが募る。

 

実家に戻り、団欒を楽しむも、両親の疲れた様子が気になる。

時折、居間でお互い違った方向を向いて、横になる両親の姿を見て、「これが普段の姿なのだ」と悟った。私が帰郷する際は、事前に力を蓄えて張り切ってくれていたのだ。私は自分の愚かさを思い知った。

 

ままならない家のお掃除は以前からも気になっていたので、今回は短いが1時間程度しっかりお掃除をさせてもらい、スッキリした気持ちになった。その後は、私の家(息子が居住している)の庭の芝刈りをしてくれていた主人と合流して帰途についた。言葉少なに、主人に現状を話し共有を図る。とても切ない。

 

主人曰く。

疲れた身体を引きずって、長く生きてもらうことが大切ではない。

自然の摂理と受け止め、安らかな日(命尽きる時)を迎えるのは正常なのだ。

 

私はこんな言葉に励まされ、少しずつ大人になってゆく。

 

両親に対し、できることを精一杯することはこの先も何ら変わることはないが、命の理解を深めていくことで、自分の軸が明確になる。これは、いずれ私自身も通る道だから。