美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

感謝の考察

時折「感謝されたい」と言う話を聞く。

私は感謝されたいとは思わない。その違いは何だろうか?

 

まず前提として、私にとって「感謝」は副産物でしかない。たまたま運良く「ありがとう」があるだけで、それは本来の目的ではないと考えている。「報われる、報われない」も同様だ。もし報われなかったら、あなたはその「善なる行いをしないのであろうか?」

 

私は宗教家ではないが、かつてミッション系の大学に通い、必修のキリスト教概論を学んだ。その名残もあるが、禅問答になった際は「自分の内なる声」を聴くよう心がけている。

 

報われるかどうかはではなく、慈悲の心があるかどうかがとても重要だと思う。余談だが、私の実の名前が「慈悲の心」に相当すると知った時は衝撃だった。

 

私は名前に恥じない自分でありたい。

これからもずっと‥