美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

週末考

先月今月と、主人は忙しい。

仕事もそうだし、長年の趣味も成熟しているから指導官への道まっしぐら。それを副業にする人も多い。指導官や試験官など様々な資格への挑戦も相まって、珍しく自宅で勉強している。(主人は実践で習得するタイプなので勉強する姿はほとんど見た事がない)

 

私は来月から資格取得に向けた勉強を開始予定。

今月は整理整頓や身軽になる習慣を身につけたい。そして、せっかくなので春を満喫したい!主人とは微妙なすれ違いがあるがひとりを楽しもうと思う。

 

こうしてみると、日頃から主人主導でたくさんの幸せを頂いている。

私から何かを言い出さなくとも、散歩に誘ってくれたり、遠出に誘ってくれたり。気づくといつでも主人と一緒に楽しんでいる。まるでコントローラーだ。先月からそれがほとんどないから、ぼんやりした週末であることが多い。

 

今日はこれから一泊二日の実家泊。来週末は実家でお花見会を計画中。

さて、この週末はどうしよう。

・衣替え

・部屋の整理整頓

・会社の自宅研修(14時間も!)

 

これを何とか圧縮して、美術館巡りをしたい気持ちもある。楽しい週末にしたい。そのためには、どんな下準備が必要だろうか。

 

 

経費についての考え方

年齢と共に、価値観や考え方が変わることがある。

これも時間軸の影響のひとつ。

 

最近感じるのは経費についての考え方が随分と変化したことだ。

一番お金のなかった45歳の頃は、どれだけ経費をかけないかが大切だった。新築した家のローンと息子の大学費用を支払っていたから、収入のほどんどは手元に残らなかった。贅沢どころか、どれだけ切り詰められるか、ゲーム感覚で組んでいたように感じる。この頃から「お金と時間はパズル」という感覚を学んだように思う。

 

それが今は真逆になっている。

お金で時間を買うという概念が入ってきた。馴染むまでにここ2年近くかかったが、今はその感覚が身についてきた。(一部、まだもったいない精神が出ることもある)

 

東京に出るまでの新幹線料金や旅行の高速料金。

またはネット販売送料。

 

人類が進化することで得られる快適さも利用するようになった。そこに係る経費を惜しいと思うか、価値を感じるか。もちろん、収入的なバランスも考慮したうえで、楽しめる時に経費を惜しまず、アクティブに活動したい。ともすると、インドアに転ぶ私だからこそ、経費についての考え方を軽くして、様々なことに挑戦したり体験したり、新鮮な気持ちを味わうことを大切にしたい。

 

 

 

いっぱい話したい

昨日の昼頃に父から電話が入った。

最近は実家から入電があると身構えてしまう私。少し神経質になっているように思うから、これからはリラックスを心掛けよう。

 

父は早寝早起きの師匠のような存在。

しかし、その父が昨日は昼までぐっすり眠ってしまい、電話口でもまだ頭がぼんやりしていると呟いていた。御年90近い父だが、いまだかつてない位の珍しさ。私も真剣に話を聴く。

 

色々な夢を見た。もう(残された時間はない)いい歳だから。

lalaとも、いっぱい話したい。

 

私もそう!いっぱい話したい!

急遽予定を変更して身支度を済ませ、息子と一緒に実家へ向かう。高速を使わずとも約2時間のロングドライブで到着できる。例え一泊できなくとも顔を見られれば十分だ。生活全体のバランスを取るとどうしても効率を考えてしまうが、これからは正味2時間程度だとしても実家への時間を捻り出すことも念頭に置こう。

 

結果は、やはり行って良かった!

大きな事件は起きなかったが(ほっとした!)両親とゆっくり話す時間が取れた。

・葡萄の苗を育てていること

水仙福寿草を愛でること

・デイサービスのこと

・お墓のこと

・お相撲のこと

不整脈が治ったこと

 

特に不整脈が治ったからと言って、手を差し出してきた父。握手したり脈をみたり。対面で手を握っていたが、いつまでも手を引かない父。この温もりが現実の世界であることは、いまの私を最高に幸せにした。思い出すと今でも涙で目が潤んでしまう…

 

週に1~2回は来て欲しいと言われたが、現実的にはなかなか厳しい。しかし、どうにかしたい。少なくとも月に3回、そして上手く電話を活用しようと思う。正直、やってやれないことはないが、おそらく自分の身体がもたない。そして、仕事や主人との関係が希薄になるのも、また別の問題を生む。

 

短距離ではなく、長距離ランナーを目指そうと思う。

 

父がお相撲に集中している間、母と台所でハンバーグを作る。

母も長くは立っていられないから椅子に腰かけてもらい、話をしながら私ひとりで料理に取り掛かる。材料を刻みながら、母の質問に応える時間。この時間もなんだかとても貴重で楽しかった。母も共働きで家計を支えてくれたから、幼い時からゆっくり家事をする時間がなかったように思う。私が読書好きで家事に見向きもしなかったから、もっと女らしい性格であったら一緒の時間も多かったに違いない。

 

熱々のトマト煮込みハンバーグができて、一緒に味見。

私はこの瞬間が一番美味しいといつも思うのだが、今回は母と一緒。これも最高に贅沢な時間だった。18歳から実家を離れたから、母も寂しかったに違いない。若者はどんどん未来に向かって進んでいくが、親はいつも見送る立場。私も母となり同じような経験があるから、いまの母の気持ちも痛いほど解る。ありがとう。いつもありがとう。

 

14:00に到着したが18:00には駅に向かわねばならない。

外出している弟と別宅にいる息子にlineを送り、私はひとり駅に向かった。4人で美味しく食べてくれますように。

 

私には主人が待つ我が家がある。

 

 

 

 

 

 

気持ちを新たに

今日は7時起床。

段々早起き生活が緩くなってきており、少し焦っている。

 

2ヶ月が経過しようとしているが、生活習慣においてもマンネリという言葉は存在するのね…。実は、私は持病を抱えており、1ヶ月半ごとに通院し経過観察の身なのだが、主治医との会話を思い出した。なんと、主治医も今年から早起き生活を実行しており、11:00就寝、6:00起床にしているそうだ。そして、私の早起き生活の良さに共感してくださり、絶好調という意味を深くご理解くださった。そこで医師曰く、「…しかし最近、私は少し緩くなってきているんだよね…」

 

その時は、余裕で笑みを浮かべていた私。

まさに私が陥っている状態と酷似しているではありませんか!医師と私の開始に2週間のズレがあるため、時期的にもまるかぶりで驚きが隠せない。

 

生活習慣の修正って、人間の個体差はあまりないのかもしれない。定着していく流れを曲線で描いてみると、なだらかに元の習慣に戻っていくのかも。

業務のようで楽しくないが、PDCAに当てはめてみる。

 

P 計画(22:00就寝、5:00起床)

D 実行(2023.1・16~現在に至る:iPhoneで管理)

C 評価(約60日経過:体調も精神も絶好調・便秘解消

     課題:30~60分程度のズレが生じている(最大2時間!)

A 改善(今後:継続することで心身の健康維持を保つ)

 

<課題と向き合う>

・目標を明確にすること(数値化)

・無理のない計画を立て実行する(休日や疲れた日は自分を許す)

   ※「許す日」が継続しないように気を付けること!

・定期的な確認をすること(ブログで記録=ありがたい!)

・プロセスを意識すること

 

 

PDCAの問題点

 

少し脱線するが、最近はこのPDCAが古いとも言われている。

Pの段階で綿密な計画に時間がかかる為、時代の変化や顧客ニーズへの対応が追い付かないことが原因だとか。そのためアイディアが陳腐化したり、新しい取り組みが導入しにくい(導入する部分を修正する手間がかかる為)ことや、PDCA自体が負担ということもある。組織や目的によって4つの欠如(具体化・計画性・評価基準・実行力)を洗い出す必要があると思われる。

 

脱線ついでに、最近注目されているのは「OODA(ウーダ)ループ

・О:Observe(観察:見極め)

・O:Orient(状況判断・方針決定:スピードを意識)

・D:Decide(意思決定:方向性と最適施策)

・A:Act(行動:変化に応じて最初のOに戻る)

 

外的要因が絡んだり、想定外のことが起きたりする状況の際は、この「OODA(ウーダ)ループ」がおススメのようです。

 

話をもとに戻すが、ここが正念場と心得よう。

もともと、8時間睡眠好きな私が7時間睡眠を選択しているのだ。どうしても8時間に戻ってしまいがち。心して「22:00~5:00」を続けようと思う。

 

 

 

3.11

あの東日本大震災から12年が経った。

 

もう12年と思う私は、被災したとはいえ軽度だからなのだと思う。

重度の被災をした彼の地の方々は、何とも言えない心の軋みを抱えての12年。「もう」なのか「まだ」なのか、私の想像力では補え切れずここに記す言葉が見つからない。

 

ただ安らかに。

 

命を落とした方々も、辛い想いを抱えて生きる方々も。

一瞬でも、ただ安らかなひとときが訪れますように。

 

 

迷う週末

週末は穏やかな日々が続いている。

(仕事は例年よりも前倒しで忙しくなってきたが…)

両親のいる実家に行こうかなと考えていたこの週末に、息子が遊びにやってきた。

 

私の実家は両親の住む家を指すが、息子にとっての実家は、現在息子自身が住んでいる私が建てた家となる。しかし「私がいる場所」が息子にとっての本当の実家なのだ。これは、私が再婚してこのスタイルになったことで理解が深まった大切なこと。実家とは家を指すのではない。心の拠り所はやはり人間なのだ。

 

話を戻すと、この週末をどうしようか、まだ考えあぐねている。

したいこととすべきこと、このバランスをどうしよう。時間の有効活用をしたい気持ちと、両親を思う気持ちとで揺れ動く。

 

・息子との時間

自己啓発という名の職場からの要請学習(苦笑)

・業務整理と業務読み物チェック

・北海道ガイドブック購入と行きたい場所の選定

・デパート(VUITTON)で長財布購入検討

・普段着の新調

・フォートナム&メイソンの紅茶購入

 

実は来週の平日、実家に1泊し母の通院同行を予定している。

その時まで待つのが合理的なのだが、昨夕の弟との電話で気持ちが前倒しになってしまった。しかし、上記を1日で終える自信もない。悩ましい。平日の充実を誓ったわたしだが、平日疲れすぎると週末はまったりしたい気持ちが大きくなる。やはり50代。自分の身体を労わることも必要だ。気持ちと身体のバランスを足したり引いたりしながら、穏やかな心持ちで過ごしたい。

 

 

弟との45分

今日は仕事以外に、私的な予定を入れなかった。

息子が泊りに来ること以外は無防備だった私。しかし、昼食時に弟から来電があり、整形外科で手術をすることになったと報告を受けた。さらに帰宅後、用事ができたため入電すると、両親との話題で長話になった。

 

弟は独身を貫いており、現在は両親と同居中。

とても実直で優しく頼りになる。ともすると我慢し過ぎたり、自分を後回しにしがちなので、身体を労わるようやんわりとお声がけした。私は少し離れた場所に住んでいるが、いつでも実家に駆け付けられるよう心配りをしている。つらつらと両親との残りの時間に触れたりしながら、姉弟2人の結束を確認し合う。

 

弟も私と同じ予感があるのだろう。

 

あれほど終活に後ろ向きだった父が、お墓の土地購入に前向きになり財産相続についても自ら考えるようになった。一緒に住んでいる弟は、胸が潰れる思いに違いない。私でさえ時折そう感じるのだから、日常を両親と共にしている弟はなおさらだ。

父は昭和一桁時代に生を受け、苦労を重ねながら一代で今の暮らしを創生した。数々訪れる人生の分岐点において、「立つ鳥跡を濁さず」の姿勢が秀逸で、震えることがある。もちろんそれなりに短所もあるが、尊敬する人物のひとりである。

 

弟に話をもどそう。

弟はこの春、一般企業でいうところの部長クラスに就任した。業務で面倒を見る範囲が拡大し、馴染むまでのこの1年はストレスを抱えるに違いない。私は頼りない姉かもしれないが、いつでも力になるからと伝えて長電話を終えた。