今回の帰郷はとても充実していた。
予定していたことがスッキリこなせた一日だった。
まず、7:30には自宅を出発して電車で実家に向かう。
予定通り9:45に施設へ到着し、久しぶりに父と対面を果たした。頭をベリーショートにしていて痩せたようにも思えたが、元気そうだった。看護師さんや介護士さんにお世話になりながら車に乗り込み、弟と私の3人で大病院へと出発。
施設から預かった2通の封書を大病院へ提出すると、弟が何やら打合せに呼ばれた。30分以上待たされているうちに父がトイレになってしまい、看護師さんに事情を話してサポートをしてもらう。事前に施設から注意事項を聞いており、どう対処すべきか理解していたので助かった。そんな色々があり、予約時間を大幅にオーバーした後に父の診察順番がやってきた。
現在の父の主治医は泌尿器科の先生だが、退院時の主治医は別の科の医師だった。私は今回、父の病状について根拠(CT・MRIなどの画像とか)を基に説明を求めたいと考えていた。しかし弟は違った。以前の主治医から「電話で5分間内容を聞いた」という理由で納得していると言う。そんな事で納得いく弟が信じられない。
実は、退院に際し父に重い病が発覚したのだ。
老齢でもあるし、苦しい治療よりはQOLを上げることを基本方針にしているが、弟はその方針が変わらないのであれば、詳細説明はなくてよいという考え方なので、私とは意見が合わない。私はどんな時でもしっかりした内容確認が重要だと考えている。もちろん、事を荒立てる気はないので(心中穏やかではなかったが)言葉を選び、上手く立ち回って医師に掛け合った。
結果は私の指摘が正しかった。
医師から謝罪の言葉があった。詳細説明が遅くなったことの非礼を詫びてくださったのだ。
内視鏡画像を示しながら、検査・治療方法・有効度合いなど、医師の見解が示された。厳しい内容ではあったが説明を聞く価値は十分あった。後に主人に報告した際も、全く同じ意見だった。(弟についてあまり悪くは言いたくないが、いつも詰めの甘さを感じざるを得ない)
そんな、約3時間の通院を経て、13:00には介護施設へ父を送り届けた。
父との会話についてはまた別記事を書きたいと思っている。
その後は、義理の両親に会いに行くことにした。
今は宅急便もあり便利な時代になったけれど、母の日は必ずお二人のお顔を見ながらお花を贈っている。離れているから母の日の前後になることが多いけれど、やはり直にお会いすることが一番大切。
今年は何にしようか迷ったのだけれど、お花ではなく「ブルーベリーの木」にした。既に青い実がたわわに実っており、紫に色づくのを見るのは楽しいだろうと思った。また、お二人とも目の手術をした事があるから、目に優しいものを差し上げたかった。ラッピングはピンクを選択し、良い雰囲気に仕上がった。写真を撮りそびれたのが痛恨のミス‥
昨年度は確か紫陽花で、私の母と義母の2人に贈った。
ふとした瞬間に母を思い出して湿っぽくなるのだけれど、その時はサラリと考えることに成功した。(今はまたしんみりしてしまうけれど‥)
主人の両親は元気だった。
もちろん、膝が痛いとか何かしらの不便さは抱えているが、基本的には頭もしっかりしているし会話も成り立つ。義父は我が家のお墓についてのアドバイスもしてくださっている。本当に温かくありがたい両親で、いつも感謝の気持ちでいっぱい。
義父のご自慢のお庭に咲くクレマチス。
義母が大好きだというクレマチスを種類豊富に育てている。心優しい義父。
そしてその後は、ひとり時間がやってきた。
すっかり遅くなったけれど、やっとお昼となりお気に入りのお店でランチ。
珍しくデミグラスソースのかかったオムライスをチョイス。
さらに、久しぶりに地元を散策したいと考え、懐かしい通りをふらふらと。
小学生の頃、母とよく伺った用品屋さんや銀行など色々見て回った。昔とは随分と様変わりしている。過疎化ともとれるし、復興化ともとれる。シャッターの閉まったお店も多いが、移築されて新しくなった商業施設や図書館もある。地元は車社会なので、なかなかこうして歩くことも久しくなった。
地元のお土産にとお菓子やパンを幾つか買い求め、知り合いの美容院にも足を運んだ。そして、最後にアンティーク屋さんでフランスの骨董を見せていただき、素敵な時間を過ごしたあと帰途についた。
すっかり遅くなってしまい、帰宅は19:00。久しぶりに出勤した主人と帰郷した私は、お互いに話す内容が多く充実した団欒になった。
バランスのよい一日を過ごすことができたこと、元気でいることに感謝。ありがとうございます。