美しい月に出逢う旅

~私という自然を生きる~

母の頑張り

久しぶりに母と1時間の電話をした。

労い・励まし・考え方の指南が主体だったけれど、ソフトに伝わるといいなと祈りにも近い気持ちでいる。

 

実家は現在、老々介護に近い状態。弟が同居しており面倒見も大変良い(感謝!)が、職業柄もあって時間的なすれ違いが多い。父が2度倒れてからは母がメインでお世話をしている。また、父の頑張りもすごいものがあり、自主リハビリで経過良好。90に手が届く年齢のため歩き方もおぼつかないが、脳の損傷にも関わらず、記憶力や思考回路はほぼ保たれている。その一方、強い性格(昭和の男)のため宥めるのに一苦労で、母の心労を考えるといつも気がかり。慣れている、と言ってはくれるのだが、母自身も経過観察(病理あり)の身。楽しい時間を用意できない自分が歯がゆい。

 

昨年の秋ごろ、色々なことが判明した際に、この職を辞して介護をするとしたら…と考えたこともある。おそらく一度離れたら二度と手に入らない職。でもフリー(営業や事務的なものも踏まえつつ実務もこなすのは大変ではあるが)になることは可能。仕事と家族を比べたら、大切なのはもちろん家族に決まっている。幸いなことに経済的な問題はない。今のところ、私ができることは「一日がかりの大病院通院付き添い・週末一泊の見守り等」がメイン。現在は、父の介護認定待ちのため、認定が取れ次第、介護サービスを使う予定。母の自由時間が増えて心身共に休める時間も増えることを願っている。

 

昨日の本当の予定は、(主人が出張のため)久しぶりの録画鑑賞で、以前からとても楽しみにしていた。しかし、母との電話もまた良かった。母の良いところ(優しくて世話好き)を丁寧に誉めることができ、頑張っていること(父の介護)にたくさんの感謝が示せた。どうしたらいいかについては、少し指示的になってしまい反省もある。母は自分のことを横に置いて、父のために行動しているのだ。私は何もしていない。

 

前回、トレードオフの話を書いた。今回の時間の使い方もまたトレードオフだなぁと感じる。自分の時間と両親との時間。両方は欲張れない。タイミングとバランスを考えながら、悔いなく生きたい。母の頑張りを見つめていると、幾つになっても叶わないと感じる。

 

真摯に生きる

 

母はこの姿勢そのものだからだと思う。